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OBからのメッセージです。




同志社にはグリークラブがある

「同志社グリークラブ」は、1904年に創設された歴史と伝統を誇る日本でも屈指の男声合唱団です。そして同志社の中で最も「同志社らしさ」を体現したサークルのひとつです。
 900名を超えるグリークラブの卒団生(OB)は、経営者、企業人、公務員、教育者、音楽家等として各方面で活躍していますが、親睦団体として「同志社グリークラブOB会」を組織し、現役のみなさんへの支援を活動の第一目的にしています。
 OBには、海外を含めて全国各地で精力的に合唱活動を続けている者がたくさんいますが、OB会では「クローバークラブ」と称して、昭和20年代に卒団したOBから今春卒団したばかりの若いOBまでがいっしょに歌う機会があります。2年に一度は学生の頃に競い合った関西学院、早稲田、慶應義塾のOB達とも同じステージでハーモニーを重ねます。
 また、グリークラブを卒団してから、20年・30年・40年・50年の節目には、同世代のメンバーが全国から集い、懐かしい仲間と酒を酌み交わし、当時の愛唱曲を時がたつのも忘れていつまでも歌い続けます。
 今、学生のみなさんには、そんな自分の姿を想像することはできないかもしれません。しかし、同志社グリークラブで過ごした4年間でめぐり合った先輩、同期、後輩等、かけがえのない仲間、合唱活動やクラブ運営を通じて培った経験が必ずや将来、みなさんが生きてゆく上での糧となることを保証します。
 同志社には、歌うよろこびに出会い、たくさんの友情とめぐり合うことができるグリークラブがあります。


同志社グリークラブOB会理事長 芦田 直幸




私は、学生時代、グリークラブで歌っていました

 既に同志社大学を卒業してから30余年が経ちました。社会人になりビジネスの世界でたくさんの方とお会いすることができました。名刺交換しない趣味や個人的な分野でも大勢の方と知り合いました。交換した名刺は一枚も処分していません。名刺ホルダーは何冊もありますが、すべての名刺は入らなくなりましたので、いくつかの段ボール箱にまとめて保管してあります。
 同志社大学で学ぶ学生諸君も、いずれそれぞれの世界に巣立っていかれることでしょう。社会人になれば、先輩、後輩、同僚、得意先、友人、恋人、家族・・と、学生時代と比べ圧倒的多数の人間と知り合うことになるでしょう。

 私は、たくさんの知人友人が幸せの根源であり、友人知人の多さが幸福のバロメーターである、と考えます。社会に出れば、上手にコミュニケーションを築くことが必要です。
 私は「この方とは今ひとつコミュニケーションがうまくとれないなぁ」と思えば、必ず「私は、学生時代、グリークラブで歌っていました」と、今一度自己紹介することに決めていました。相手は「ホーッ、そうですか?どちらの学校で?」と、まず質問してくれます。私は、すかさず胸を張って言います「同志社グリークラブです」と。相手は「そうでしたか。同志社のグリークラブは有名ですね・・・」と話題は続きます。

 私は、何度も「グリークラブ」に助けてもらいました。その度に「同志社グリークラブで歌った」ことを誇りに思いました。そして「同志社グリークラブがいつまでも胸を張って誇れる良いクラブであってほしい」と願い続けています。もちろん、同志社グリークラブは私に、音楽の素晴らしさ、同志社で学んだことへの感謝、そして今でも共に歌える仲間も贈ってくれました。同志社グリークラブはこんなに素晴らしいクラブです。

OB会運営理事会事務局 森島 敏夫




同志社グリークラブの仲間は一生の宝物です

 同志社グリークラブ S42年(1967年)卒業メンバーは、卒業後毎年のように「グリークラブ同期会」を開催しています。(同期卒業28名)この写真は、全員<還暦>も越え卒業39年経ったH18年(2006年)の秋、集まった十数人で、奈良県にある「某福祉学園」に慰問しまして、約1時間のミニ・コンサートで奉仕した時のものです。40年以上の月日を経ても、同志社大学在学中一緒に過ごしたグリー仲間との 『絆ーキズナ―』は、途絶えることなく <友情>と<思いやり>で結ばれています。

同志社グリークラブOB会 運営理事 栗山 昭男




同志社グリークラブに感謝!

 今の私があるのは同志社グリークラブに在籍できたお陰と言っても過言では在りません。現役の当時は東西四大学合唱演奏会の担当マネージャーをさせていただきました。この経験が、社会に出て非常に役に立ちました。東西四連の演奏会を如何にPRするか、多方面へのチケット販売や、観客動員、パンフレット作成など、仕事を工夫して行うことに自分なりの満足感とやりがいを感じていました。この事は合唱団でありながら、歌うだけではないやりがいがこのクラブには沢山あるということです。脈々と歴史を積み重ねてきた同志社グリークラブという看板を背負ってのマネージャーの仕事でしたから、本当に誇りを持ってこなしていました。
 卒業後、平成元年に㈱第一勧業銀行に就職し、7年間勤務して、家業の不動産賃貸業継承のために静岡に戻りました。静岡では5年ほど社会福祉法人の理事長を経験させて頂き、日本で2例目の木造の特別養護老人ホームを完成しました。一工夫、人と同じ仕事はしないというこだわりは、同志社グリークラブ時代に培ったものだと感じ、今でも本当に感謝しています。

同志社グリークラブOB会 副理事長 安池 倫成